病院長から皆様へGreeting from Hospital Director
〜久しぶりに挨拶文を新しくさせていただきます〜
友仁山崎病院に病院長として赴任してから早くも9年半が過ぎました。
この間、机の上に“友仁山崎病院の存在意義とは”という小さな紙を貼って、毎日その答えを求めるように仕事をしてきました。彦根市はご多分に漏れず、高齢化が急激に進んでおり、病院に来られる患者さんのほぼ大部分が高齢者です。私たち医師が大学で学んできた若年者を対象とした急性期医療の必要性は地域の公的医療センターに集約され、当院もその後方支援病院としての役割が前面に押し出されたのがこの10-20年の状況です。国が進めている地域医療構想はまさにその方向性を見込んだ当然の施策と思われます。
ただし、私は、当院が亜急性期、慢性期医療に100%特化した病院にはしたくないという拘りでこの10年を過ごしてきましたし、その考えは今も変わっていません。消化器内科、外科を柱とした急性期医療、人間ドックを中心とした予防医学医療、そして透析医療などは当院の伝統として受け継がれてきたものであり、質の高いケア・ミックス医療を展開するのが当院の存在意義と信じています。また、最近では、循環器内科の常勤医も加わり、より幅の広い内科診療も展開できています。
新型コロナのパンデミックにより、約3年間の長きにわたり、病院機能が停滞しました。未だに、パンデミック前の患者数には戻っていません。また、パンデミックに端を発するwood shockは建築資材の高騰を招き、新病院の構想もペンディングになってしまいました。また、追い打ちをかけるように看護師などの医療スタッフの深刻なマンパワー不足が湖東圏域に襲いかかっています。また、今年から始まる医師の働き方改革は、地方医療機関における医師数の減少に拍車をかける可能性があります。
このように医療をめぐる環境は決して明るい状況とは言えません。しかし、病に苦しむ患者さんがおられるという真実はまったく変わりはありませんし、我々が全力を傾けてそれらに対峙するという姿勢に変化は許されません。これまで以上に多職種間の連携、病病連携、病診連携を深化させ、この難局を乗り越えなければなりません。そして、地域に居住されておられる住民の方のご理解やご協力が不可欠です。
どうか、今後も当院の運営にご理解ご協力のほどよろしくお願いいたします。
令和6年元日
友仁山崎病院 病院長
髙橋 雅士
経歴
- 1977年3月
- 滋賀県立膳所高等学校卒業
- 1977年4月
- 滋賀医科大学医学部医学科入学
- 1983年3月
- 滋賀医科大学医学部医学科卒業
- 1983年5月
- 滋賀医科大学放射線科研修医
- 1985年4月
- 滋賀医科大学放射線科助手
- 1986年4月
- 財団法人天理よろづ相談所病院放射線科医員
- 1989年4月
- 滋賀医科大学放射線科助手
- 1993年2月
- 米国ニューヨーク市Long Island Jewish Medical Center (Albert Einstein College of Medicine)放射線科リサーチフェロー
- 1995年3月
- 滋賀医科大学放射線科助手
- 1997年2月
- 滋賀医科大学放射線科講師
- 2000年1月
- 滋賀医科大学放射線部助教授
- 2007年4月
- 滋賀医科大学放射線部准教授
- 2007年9月
- 滋賀医科大学病院教授
- 2014年8月
- 医療法人友仁会友仁山崎病院病院長
滋賀医科大学非常勤講師
- 2017年4月
- 首都大学東京非常勤講師
現在に至る
資格
- 医学博士 放射線科専門医 マンモグラフィー読影認定医 日本消化器がん検診学会認定医 日本がん検診・診断学会認定医 肺がんCT検診認定医 臨床研修指導医 AIR(Asian Intensive Reader of Pneumoconiosis)認定読影医